カードゲームを哲学する

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カードゲームを哲学する

はじめまして。ガイチュウ( twitter @psy1234560 ) です。
普段は関西圏のcsに赴いたり、dmvaultで実質手帳というHNでプレイしています。

実績は大したものがないモブなんですが今回トレカライターコロシアムに参加させていただきました。

一体何の記事を書こうかなと思っていたんですが最近は某大人向けパーティーっぽいやつとか平日cs論争だとかひらがなでハンドロスとか巻き戻し拒否とかいっぱい事件(?)が起きていてカードゲームのモラルやカードゲームが向かう方向性が随分と不明瞭になってきているなぁと思ったのでモラルだとかカードゲームの原点に立ち返る記事を書いてやろうと思い執筆しました。
最後まで読んでいただけると筆者冥利に尽きます。
注:基本的に全て個人の見解です。*がついているのは注釈付きです。「」は独自の定義です

目次

デュエルマスターズの構造主義

カードゲームの性質

デュエマはカードゲームです。カードゲームは運が絡むという点で他のゲームとの差異を生み出しました。デュエルマスターズとてその例には漏れません。

むしろシールドトリガーという運による逆転要素を作ったという点で他のカードゲームに比べて構造上さらに運が絡みやすいゲームといえます。
カードゲームであるがゆえに運が絡むこれはデュエマの性質の一つです。

運が絡むものは正解が求め難い。これはカードゲームという媒体がヒットした要因の一つともいえると思います。例えば、計算などは明確に答えが定まっており、クイズ大会なりなんなりすれば正解と不正解があります。

しかし、運が介入するゲームはその限りではありません。確かに明確に不正解な手も存在しますが多くの場合、確率論と結果論でしかその手の正解、不正解を論じることはできません。結果として、間違いがないという点で様々な人達にとって手が届きやすいゲームになりました。

またカードゲームにおいて正解、不正解がないもう一つの理由として構築の多様性が挙げられます。無数のカードに比べれば入っている可能性のあるカードは大きく絞られますが、それでもあまりある種類のカードが採用されている可能性があります。
この運と構築多様性という2つの要素はカードゲームを机上のみで論じることのできない大きな壁としています。

そして運要素と構築多様性は相乗効果をもたらします。

例えば、対面している相手のデッキに《光牙忍ハヤブサマル》が入っているかどうかということは基本的に運の要素になります。相手の立ち回りから予測できる場合もありますが、情報量が0の状態では相手の構築に何が入っているかというのは確率論でしか論じることが出来ません。構築多様性は確率論の幅を大きくします。

多くのデッキに採用されうる1枚。これ1枚でゲームメイクが大きく変わることも多々ある。

僕はデュエマの調整をしているときによく「脳内にスーパーコンピューターを置いてスパコンが最強のデッキを作ってスパコンが確率論的に最も期待値の高いプレイをナビしてくれないかなぁ」って思うんですよ。

しかし、仮にスパコンを脳におけたとして、デュエマの最適解を導くことはできるのでしょうか?またそんなことが出来たとしてそのコンピューターは一体どれだけの勝率を出すのでしょうか?

ただの運要素というものは確率を計算すれば出ると思われますが問題は相手のプレイからカードを相手のキープしているカードを予測したり、構築多様性の観点から意識外のカードに対応できるのか、という点です。これらを考えるにはとんでもないビッグデータが必要になる、すなわち機械学習という人間的行為でなければ答えを出せないと考えました。

こう考えていくとやはりカードゲームというのは本質的に*将棋や囲碁のボードゲームに似ているといえます。
*将棋や囲碁のAIも計算のみで答えを出せないため機械学習によって成っている。

カードゲームの構造

次にカードゲームという”遊び”をどうして人間が好むのかという点に着目して考えていきます。
ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」より引用すると遊びは必ず以下の4つのどれかの成分を含んでいます。

1.競走 自分の努力を頼りに勝利という価値を得ることを求める遊び 例:サッカー、将棋etc

2.偶然 努力とは無関係に運命への勝利を目的とし、自分以外を頼りとした遊び 例:サイコロ、じゃんけんetc

3.模擬 自分の世界からの脱出を楽しむ遊び 例:演劇、おままごとetc

4.眩暈 知覚の安定を破壊する混乱を楽しむ遊び 例:ブランコ、ジェットコースターetc

この定義に基づいてカードゲームを分類するとカードゲームは1と2の要素をもった遊びといえます。

1と2は相反しているように見えますがカイヨワの分類ではこの2つには共通点があります。それはこの2つが共にルールの遊びであるということです。例えばサイコロには出た目が大きい方が勝ちというルールが、サッカーには点を多くとった方が勝ちというルールがあります。3と4にはルールはありません。
この定義に基づいてカードゲームは自分の努力と運命を頼りに勝利という価値を求めることを楽しむ遊びであるといえます。

また、カイヨワは競争と偶然の2つの差異は意志と脱意志であると結論付けました。競争において勝ちたいという意志は努力を媒介することで勝利という結果をもたらし得ます。一方、偶然ではどんなに強い勝ちたいという意志があってもそれが結果に結びつくことはありません。賽は投げられたら最後、カエサルが勝つかポンペイウスが勝つのかは誰にも分からないのです。

このことよりカードゲームに内在する矛盾は意志と脱意志によって説明できることが分かります

具体論としてデュエマに落とし込んでいくと競技デュエマに見られる練りこまれた構築、研ぎ澄まされたプレイングなどはおよそ全て努力の賜物でありそれらを求めること強いては勝利を強く求めることは競争という遊びの要素に端を発するもの、いわゆるファンデッカーのような人々が遊ぶデュエマは競争ではなく運命を遊ぶ、すなわち偶然という遊びの要素に端を発したもの、であるといえます。

人によってデュエマの楽しみ方が異なるのはその人が本質的に競争の遊びが好きか、偶然の遊びが好きかという違いからなるものです。

まとめ

・カードゲームは運と構築多様性という特徴を持っており、その特徴が他のゲームとの差異となり、相乗効果によって囲碁や将棋に似た無数の選択肢を生み出した。
・カードゲームは自分の努力と運命を頼りに勝利という価値を求めることを楽しむ遊びであり、競争と偶然の2つの構造から成る。
・カードゲームの競技性は「遊びの分類」の競争の定義に当てはまり、カードゲームの運は偶然の定義に当てはまる。

昨今、進んでいるデュエマの競技化の風潮にはe-sportsの影響が少なからずありますが、他の競技ゲームと異なりカードゲームの競技化には偶然を決して排除できないという構造上の限界があることを決して忘れてはいけません。

カードゲームに「正解」はあるのか

先ほど僕はカードゲームは机上のみで論じることが出来ないと述べました。ここで問題提起したいのは机上のみで論じることが出来ず、スーパーコンピューターを用いてもビッグデータでしか解を導けない、偶然の要素を冠したカードゲームに正解はあるのかという問題です。

最適のデッキはあるのか、正しいプレイングはあるのか。

僕たちはどこかに「正解」があると思っていて、あの時あっちの選択肢を取っていればこっちのデッキを使っていればだとか思ってしまいます。いや、それが自分に向いているのはまだいい方でそれが対戦相手に向いたとしたら、、

具体的にはcsでファンデッキに当たって負けたらあれは正しいデッキじゃないと愚痴ってしまうし、対戦相手が確率的に別の択の方が可能性が高いのに違う択を取り、結果的に引かれて負けたら相手のプレイは正しいプレイじゃないと嘆いてしまう。

キリスト教では人類は神に楽園から追放されてこの世界に来たとされています。人間は自分たちの足りない部分の全てを持っている「神」という「偶像」を作ることで人類のあるべき姿、「正解」を設定できました。
しかし、近代になってアダムスミスの説いた*神の見えざる手が周りまわって格差を生んだことは皮肉にも不完全な人間によって作られた神が完全であるはずはないということの証明になってしまいました。

「正解」もまた「神」と同じ「偶像」なら「神」と同様に不完全なのではないでしょうか。

*神の見えざる手‥アダムスミスの「国富論」の有名なフレーズ。個人の利潤の追求が結果として経済を最大化していく様相を「人類は神の見えざる手によって引き上げられている」と例えた。転じてここでは神が設計した自由経済の象徴。

デュエマの話に戻すと、例えば仮に僕が完璧だと思うデッキができたとしてもそもそも僕が不完全だから完璧だと思ってできたソレも不完全。
同様に、不完全な僕が「完璧なもの」をもし見せられたとしても不完全なのでそれが完璧かどうかわからない。

つまり、「正解」があったとしても誰もそれが「正解」だと証明できないということです。

だれもその存在を証明しえないモノ、つまり最適のデッキ、正しいプレイングというものは存在したとしても認識できない、すなわち「神」であり、カードゲームという競争と偶然の宗教が生み出した「偶像」に過ぎないといえます。

総括

最適のデッキも正しいプレイングも、存在すら不明瞭な「偶像」です。
競争と偶然のカードゲームにおいての「強さ」は、将棋のプロのような「強さ」でもなく、カジノのギャンブラー達のような「強さ」でもないでしょう。

競争と偶然、意志と脱意志、背反する2つの要素を持ったカードゲームの「強さ」とは何なのか。その答えを探し続けることこそが最も重要で、皆さん一人一人が「強さ」とは何かを問い続ければいつかその「偶像」はあなたという「実像」になってくれるかもしれません。

「正解」に囚われることなくカードゲームに取り組むことは競争と偶然という2つの楽しみを享受できる充実したトレカライフを送る第一歩ではないかと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございます。
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記事の内容に賛成であれ、反対であれこの記事が界隈に一石を投じるものになることを期待して結びとさせていただきます。

written by ガイチュウ


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