デュエマでわかる日本史 ~源平合戦編 上~

PV 9,143 いいね 56 -

デュエマでわかる日本史 ~源平合戦編 上~
カーナベルで欲しいカードが手に入る!

①毎日最大12%ポイント還元   
②当日15時までの注文で即日発送   
③圧倒的な19,000種以上の商品数
早い!安心!高い還元率!を試そう!!

  

カーナベルを覗いてみる

こんにちは、神結です。

本記事はデュエマを通してなんとなく日本史をわかった気になろうというコンセプトの記事です。このシリーズを通して皆様が日本史に興味を持ったり、理解の一助になったりすれば、筆者としてもこれ以上の喜びはありません。

そして前回はたくさんのコメントやいいね、ありがとうございました。この記事が上がっている頃には、コメントの方も返し終わっているかなと思います。

さて、今回のお題は戦国時代から遡って、武家政権樹立の大きなキッカケとなった源平合戦の話です。

史実では最終的に源氏が勝つんですが、デュエマの世界では相討ちになります。

《爆竜 GENJI・XX》

殴るだけで相手が壊滅していくアタッカー。初出は覚醒編第3弾。

当時強すぎた《雷電の覚醒者グレート・チャクラ》にお灸を据えるために登場したが、今度がコイツが強すぎて大変なことになった。

HEIKEのことが嫌い。

《我牙の精霊HEIKE・XX》

初出はE1期に登場したエイリアン強化パックである「フルホイルパック リバイバル・ヒーロー ザ・エイリアン」。

GENJIより1コスト軽く、効果で選ばれずにパワーも同じなのでとりあえず相討ちに持ち込むことが可能。タワードラフト等で遊ぶときは、いまでも結構頼りになる。

GENJIのことが嫌い。

源平合戦は話が長いので、複数回に分割してお送りします。

第1回では当時の武士……もといプレイヤー事情や、調整チームの結成、そして頼朝の挙兵と富士川の戦いまでを取り上げたいと思います。

目次

デュエマでわかる日本史 源平合戦編 ~調整チームYORITOMO~

源平合戦前夜

源平合戦関連年表

  • 1156 保元の乱
  • 1160 平治の乱で源義朝敗北。頼朝、伊豆へ流される。平氏がめっちゃイキる
  • 1180 
    • 5月 以仁王がクリエイターズレターを発行して平氏追討を呼び掛ける
    • 8月 頼朝がチームを結成して挙兵するも敗北(石橋山CS)
    • 10月 頼朝が鎌倉でオフ会を開く。富士川CSで甲斐源氏が平維盛に勝利
    • 11月 頼朝、常陸(茨城)を制圧
  • 1181 
    • 閏2月平清盛、死亡
    • 3月 墨俣川CSで平氏が勝利
    • この年、大飢饉が発生
  • 1183 
    • 5月 木曾義仲が倶利伽羅峠CSで平維盛に勝利
    • 7月 義仲が京都に入る
    • この頃から定期的に義仲のTwitterが炎上する
    • 閏10月 義仲が水島CSで平氏に敗北
  • 1184
    • 1月 頼朝の弟の範頼と義経が宇治川CSで義仲に勝利
    • 2月 一ノ谷CSで範頼と義経が平氏に勝利
    • 義経、Twitterの使い方を兄頼朝に怒られる
    • 範頼、遠征勢になって九州へ向かう
  • 1185
    • 2月 屋島CSで義経が平氏に勝利
    • 3月 壇ノ浦CSで義経が平氏に勝利。平氏滅亡
    • 5月 義経、お気持ち表明ツイートをするも頼朝からブロックされる
    • 11月 頼朝が義経捕獲を名目に守護地頭の設置を要求
  • 1189 義経、奥州で討たれる。奥州藤原氏、滅亡する

――

時は12世紀。1160年、保元・平治の二度の乱を経て平清盛は勢力を拡張し、平氏政権を築きます。対して敗れた源氏は総大将義朝が謀殺され、その息子頼朝は伊豆へと流刑されました。

そしてしばらく平氏は京都で目一杯イキっておりましたが、平治の乱から20年後の1180年、平氏政権へと不満を抱いた後白河法皇の第三皇子以仁王が挙兵します。この挙兵はあっさり鎮圧されてしまいますが、以仁王の発した平氏打倒の令旨は、瞬く間に拡散していきます。

この令旨を元に、全国の反平氏勢力が次々と挙兵、戦乱へと向かっていくことになりました。

ちなみに令旨について端的に説明すると、クリエイターズレターみたいなもんだと思ってくれればいいです。このクリエイターズレターを、以仁王が#拡散希望 した感じになります。

源平合戦? 治承・寿永の乱?

ところで一般的に源平合戦と呼ばれる一連の戦いは、日本史の教科書には「治承・寿永の乱」と書かれています。

この治承・寿永というのは、E1とかDSとか革命編とか、そういったタイトルロゴに近いですね。もっとわかりやすく言え? はい、すみません。年号です。

呼び名がこうなっているのには、理由があります。というのも、この一連の戦いを「源氏vs平氏」という単純な二項対立的な構造で説明出来ないからです。

平氏と戦ったのは源氏だけではなく寺社勢力なども含みますし、平氏の中にも源氏に味方するものがいたり、そして源氏も源氏同士で戦ったりしています。大雑把に「デイヤーvsバーンメア」の環境といっても、カリヤドネやナウオアループがいるのと同じです。「デイヤーvsその他」みたいな感じなんですよ。

ですので、教科書的には治承・寿永の乱が正です。ただここではわかりやすいので源平合戦と書くことにします。

大手プレイヤーを担ぎ上げて調整チームを作ろう!

さて、源平合戦の話をする前に、この時代の武士……もとい、プレイヤーの話を先にしておきましょう。

この時代のプレイヤーたちの基本的な方針は、「大手プレイヤーを担ぎ上げて調整チームを作り、自分たちの願望を実現してもらおう」といった感じだったりします。

要するに、地域ごとに調整チーム文化があった訳ですね。

例えば関東では頼朝を中心としたチームが、信濃から越後、北陸にかけては木曾義仲が、そして西国には平氏や平氏に敵対する勢力がそれぞれ調整チームを結成しています。東北にも奥州藤原氏という強力なチームがありました。

そしてこの調整チームのリーダーになれるのが、大手プレイヤーです。

もっと正確に言うと「大手プレイヤーを、他のプレイヤーたちと一緒に担ぎ上げてリーダーにする」といった感じです。

この時代、大手プレイヤーかどうかは凄くわかりやすい基準があります。

何かと言うと血統です。

Twitterのフォロワー数とか、YouTubeのチャンネル登録者数とかじゃないんですよ。源氏であれば、直系(棟梁という言い方になるんですが、結構難解な概念なのでここでは省略します)の近親者であればあるほど大手になります。

そういう意味では、頼朝はめっちゃ大手です。なんといっても頼朝は前の源氏の総大将である義朝の跡継ぎですからね。

木曾義仲は、まあまあ大手くらいです。源氏の血を引いてはいますが、ちょっと立場が弱いんですよ。頼朝がフォロワー10万人だとしたら、義仲はフォロワー5000人くらいだと思っていただければと思います。知らん人は知らんし、何なら平氏の一族は義仲を知らなかったみたいなんですよね。

チームに所属すると強い構築のデッキリストが貰えるだけでなく、近所のショップに出入りしている嫌な奴をチームの圧力で追い出したり出来るようになります。

これが結構重要な要素で、みんな嫌な奴を大手とチームの圧力で潰すためにチームに入るんですよ。かなり打算的なんですよね。

プレイヤーたちは、様々な理由でチームに所属しています。

先に言った「近所のショップに出入りしている嫌な奴を追い出したい」だけでなく、「他のプレイヤーに誘われた」とか或いは「自分が潰される前に先に入っておこう」とかですね。

ちなみにここは重要な点なのですが、「頼朝さんの願い通り、京都に上って平氏を倒したい」と考えているメンバーは殆どいません。むしろ彼らにとっては遠い京都の政治のことより、近所のショップの治安の方が大事なんです。

だからリーダーの頼朝がどんなに「今すぐ平氏をぶっ潰したい」と思っていても、他のメンバーはそんなこと興味がないため中々実現しません。この辺りは、調整チームの弊害ですね。

というわけでここから先は、いま書いたチーム文化を頭に入れておくと話がわかりやすいと思います。

調整チームYORITOMOの初陣 ~石橋山CS~

さて、以仁王が命懸けで拡散希望をしたクリエイターズレターで「平氏討伐の挙兵を」と呼び掛けられた源頼朝ですが、これに答えるかどうか滅茶苦茶に迷います。

源頼朝はご存じ、後に鎌倉幕府を開いた人物です。この時は最初に書いたように父親が負けたことで罪人となり、危うく処刑されるところをなんとか助けられ、伊豆(静岡県の東。温泉とか「天城越え」で有名な天城山とかがある)に流刑されていました。

流刑といっても牢屋に繋がれてたわけではないので、比較的自由気ままに過ごせていたようです。近所に住む北条さん(後に鎌倉幕府で執権となる家系)と仲良くデュエル・マスターズをしていたことだと思います。

しかし調整チームを立ち上げるとなると話は別です。確かに頼朝は超が付くほどの大手ではあるのですが一応罪人扱いですし、「明日チームCSあるから一緒に出ない?」って誘っても、既に他のメンバー(平氏)と組んでいたり、突然過ぎて予定が合わなかったり、そもそも地理的に遠かったりと、中々直ぐには味方してくれないんですよ。

というよりも、この時はまだ関東のプレイヤーは頼朝を担ぎ上げるメリットよりも、平氏と敵対するデメリットの方が大きいと考えてたんですね。普通に戦えば、平氏が勝ちます。競技的な思考の人が多いので、勝てないデッキは使わないんですよ。

最終的に頼朝は調整チームYORITOMOの結成を決断し北条さんなどと一緒に、源氏ゆかりの地である鎌倉を目指しますが、集まったのはわずか300ほど。対してこの頼朝をぶっ潰すために駆け付けてきた平氏の頼朝追討軍は3000もいました。

ちなみにここではチーム名を名義上「チームYORITOMO」とさせていただきましたが、「チームG(源氏の)S(総大将)」とか「Yoritomo Project」とか「源氏派閥」とか好きなように脳内変換してただければと思います。

両者は1180年8月に石橋山CS(開催場所:小田原近辺)で激突しますが、この当時の戦いとは盤面にあるクリーチャーの数が命というデュエプレそのものでした。よって頼朝も、多勢に無勢であっけなく敗北します。

頼朝はCS会場となった山中で人生を懸けたかくれんぼをしてなんとか逃げ切り(この時、平氏に味方していた梶原景時に見付かったものの、頼朝から溢れる大手オーラに押されてスルーしたという逸話があります)、海から逃れて千葉県の房総半島に上陸します。

ちなみにこの時、三浦半島(神奈川県の東)に住む実力者の三浦一族が頼朝の味方になっています。頼朝の命があるのは、間違いなくこの三浦さんのお陰です。

彼ら三浦一族は三浦半島から海を渡った房総半島の辺りまでのショップを牛耳っていたのですがライバルも多く、そのライバルが軒並み平氏に味方してたんですよね。だから三浦さん一家としては頼朝と一緒に行動することでライバルたちを潰してしまおうと考えます。やっぱり打算的なんですよ。

しかし実力者の三浦一族がチームに加入したことで、流れは変わってきます。

頼朝は房総半島から千葉の辺りで再起を図るのですが、なんと歩きながらチームへの参加を呼び掛けただけで、味方になっていくプレイヤーが次々と増えたんです。

この辺りは三浦さんがチームに加入したことによる「あのチームは強いぞ」という周囲の信頼性を獲得したことと、なにより頼朝が持つ 大手のカリスマ性が忌憚なく発揮されたことによる結果だと思います。

敵対するチームのプレイヤーを踏み潰し、千葉を出る頃にはメンバーがなんと5万近くになったとされています。

こうして頼朝は悠々と鎌倉に入ることができ、盛大なオフ会を開催することが出来ました。

このオフ会によって頼朝は関東の王が誰であるかを周囲にわからせると同時に、オフ会にこなかった奴を敵対勢力として認識するわけですね。当時はオフ会も命懸けです。

チーム甲斐源氏と富士川CS

以仁王のクリエイターズレターを読んでチームを結成したのは頼朝だけではありませんでした。

信濃(長野県)では木曾義仲が、甲斐(山梨)では甲斐源氏の一族がそれぞれ反平氏のチームを立ち上げています。また近畿や四国でも反平氏のチームは結成されたのですが、こちらは平氏の勢力が強かったため早々に鎮圧されました。

木曾義仲の挙動については次回以降触れていきますが、まず素早い動きを見せたのは甲斐源氏の方でした。

甲斐源氏は頼朝と共同戦線を張りながら駿河・遠江(静岡)へ侵攻し、ここで西から頼朝や甲斐源氏を倒すためにやってきた平氏の軍勢と対峙します。

この時の平氏の総大将は平清盛の孫の維盛で、軍勢は7万ほどだったようです。対して甲斐源氏の方はちょっと数はわからないのですが、それよりは少なかったと思われます。ただし甲斐源氏の背後には頼朝も控えていました。

こうした状況で始まったのが、富士川CS(開催場所:静岡県富士市)です。いよいよ源平双方の役者も揃い、本格的な源平合戦の始まりです。

これはさぞ大激戦になるんだろうな……とお思いの方もいらっしゃると思いますが、そうはならなかったんですよね。

というのも、平氏側のメンバーが実はスッカスカだったんですよね。

この時代、CS参加者はいくつかのパターンに分類されます。

まずは、ガチで優勝を狙いに行っているプレイヤー。これはやる気満々です。

次はやる気満々のプレイヤーに引っ張られて渋々着いてきたプレイヤー。こっちはそんなにやる気はないので、予選1、2回戦で負けるとさっさとドロップして家に帰ります。

そして極めつけは、そもそもデッキすら持ってきてない奴。コイツらは他のみんなが試合をしている時に荷物の窃盗を狙っています。徐々にデュエマフェスやCSが再開しつつありますが、荷物の管理には充分お気を付けください

どんなにたくさん軍がいようと、後ろ二つの割合が多いと呆気なく瓦解します。例えばデッキに《時の法皇 ミラダンテXII》が4枚入っていても、残りのカードが《はずれポンの助》だったら、勝てるわけないんですよね。

富士川CS イメージ図

この時の平氏のメンバーは7万のうちの大半が《はずれポンの助》だったようです。具体的にいうと、甲斐源氏が夜襲を掛けようとして川に入ったら水鳥たちが一斉に飛び立ち、その水鳥の羽音に驚いた平氏軍は散り散りになって逃げます。

こうして富士川CSは一瞬で源氏の勝利となりました。

この戦いの結果、駿河・遠江といった場所に甲斐源氏が大きな拠点を築くことに成功します。それはつまり、その背後にある鎌倉のチーム頼朝の面々の安全が確保されたと同時に、京都に進む道も開けたことになるわけですね。

遠くの京より近所のカドショ

富士川CSで平氏を撃破したことで東海道が開け、チームYORITOMOの面々はその気になれば京都に向かうことが可能になりました。

実際頼朝も自身も京都に行きたかったようです。頼朝はそもそも京都で生まれ育ってますし、父の無念を晴らすという意味でも平氏打倒という意味でも、京都に上らなくて宿願は果たせないのですから。

しかしこの頼朝の願いは、チームYORITOMOの面々によって却下されます。

彼らにとって大事なのは遠い京都の情勢などではなく、況してや頼朝の願いを叶えることでもなく、近所のカードショップの治安なんです。

チームメンバーは口々にこう言います。

「常陸(茨城)の辺りにめっちゃ調子乗ってる奴がいるから、アイツ潰そーぜ」

この茨城で調子乗っている人と茨城CSの主催との関係は不明ですが、確かに茨城には鎌倉のオフ会に来なかったメンバーが残っていました。彼らは明確に頼朝と敵対する姿勢を見せていますし、それは茨城の近くのカードショップを根城にしているメンバーにとっては非常に邪魔な存在だったのです。

しかしこのチームYORITOMOのメンバーを結集すれば、邪魔な存在を排除出来る力があります。

もちろん、頼朝としても敵対する勢力を背後に抱えているのは、非常に不気味ではありました。特に東北にはフェアプロを始めとする強大な勢力が存在しており、北関東と手を組まれたら厄介です。

結局、頼朝は京都を向かうことを諦めて常陸(茨城)へ兵を向けることに決めました。

繰り返しになりますが、チームYORITOMOとは頼朝の願いを叶える集団ではなく、メンバーがそれぞれの打算を持って集まったチームなんですね。

ちなみにこの翌年、西日本では大飢饉が発生しています。特に京都などでも餓死者が出る規模のもので、もし京都に上っていたら壊滅的打撃を被っていたかもしれません。

そして結果的に常陸を制圧したことで関東に於ける敵対勢力はほぼ一掃され、関東は完全にチームYORITOMOの支配下になりました。これは後々の木曾義仲の戦いや、そして鎌倉幕府の成立へ大きな意味を持つことになるのでした。

――

(デュエマでわかる日本史 源平合戦編 ~調整チームYORITOMO~ 終わり)

次回:デュエマでわかる日本史 源平合戦編 ~木曾義仲はTwitterが下手~ に続く

オマケ ~ 頼朝さんの使用(予定)デッキ

鎌倉時代は複雑なコントロールデッキではなく、互いに殴り合うビートダウンのデッキが一般的でした。

中でも青と緑によってリソースを整え、《爆竜 GENJI・XX》の突破力を生かして攻め込む【超次元GENJIビート】は大活躍! する予定だったのですが……残念ながら石橋山CSまでにはカードが集まらなかったようです。


みなさんも普段生活していて「あっ、なんか平氏滅ぼしたくなってきた!」ってなったときには、是非使用を検討してみてください。カードはカーナベルで購入可能です。

※面白いと感じてくださったなら、是非ともいいねやコメントの方をよろしくお願いします。

参考文献

川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ』講談社学術文庫 2010
高橋典幸『源頼朝 東国を選んだ武家の貴公子』山川出版社 2010
上杉和彦『戦争の日本史6 源平の争乱』吉川弘文館 2007

あなたの欲しいカードがすぐ手に入る!
デュエマ通販サイト「カーナベル」


〜3つの特徴〜

  1. 毎日最大12%ポイント還元
  2. 当日15時までの注文で即日発送
  3. 圧倒的な19,000種以上の商品数

ガチャを回して大量ポイントGET!!
▼毎日ガチャ開催中▼


徹底した在庫管理で圧倒的な品揃え
デッキパーツをお得にGET!!


カテゴリ:

タグ:,


\Twitterでコメントする/

ガチまとめの「コメント機能」が「Twitterでコメントする機能」に新しく生まれ変わりました!


面白かったらいいねで応援♪

56

あなたの欲しいカードがすぐ手に入る!
デュエマ通販サイト「カーナベル」

カーナベル
〜3つの特徴〜

  1. 毎日最大12%ポイント還元
  2. 当日15時までの注文で即日発送
  3. 圧倒的な15,000種以上の商品数

ガチャを回して大量ポイントGET!!
▼毎日ガチャ開催中▼


徹底した在庫管理で圧倒的な品揃え
デッキパーツをお得にGET!!

関連記事